夜明けの520号室

ままならないオタクによる、フリーダム&カオス雑記。

ブログ引っ越します。

ずいぶん長い間ブログを放置してしまった。

 

この期間中、主にnoteに記事を書いていたのだが、思い切ってnoteから記事を引き上げ、再びブログを始めようと思い立った。

 

そして、その際新しいドメインを使いたくなったので、同じはてなブログではあるが別のブログに引っ越すことにした。

 

今後の更新は以下の新ブログで行うので、よかったらのぞいてほしい。

 

canariamaze.hatenablog.jp

 

ソメイヨシノと山桜の話

春になった。
冬が寒かったぶん、ポカポカとした陽気の心地よさも格別に感じられる。
日本において、春とは桜の季節である。
私が住んでいる地域でも、例年より少し早めに桜が開花した。
真っ白な牛乳にほんの一滴いちごシロップを垂らしたような、淡い淡いピンクの花が、鈴なりに咲き誇っているのを見ると、春だなぁと月並みな感慨にふけってしまう。

 

ところで、今話題にした桜の品種はソメイヨシノである。
今の日本で一番メジャーな桜と言っていいだろう。
一方で、桜の品種はソメイヨシノ以外にもいろいろとある。
しだれ桜に八重桜、緋寒桜などのご当地桜(?)、そして野山に自生している山桜。
そういう「ソメイヨシノ以外」の桜を見るたびに、ある出来事が思い出される。

 

ずいぶん昔、私が予備校に通い始めた頃の話だ。
初めての現代文の授業の時、先生が桜の話をしてくれた。曰く、

ソメイヨシノは人工的に作られた園芸品種で、接ぎ木によって広まっていった。
今あるソメイヨシノは、全て同じ遺伝子を持つクローンである。
それに対して、山桜はさまざまな桜が交雑して生まれており、一本一本異なる遺伝子を持っている。

当時の私は、この言葉にすごく勇気づけられた。
私が通っていた予備校には、現役生と高卒生のコース以外に、高校中退者や通信制高校の生徒、再受験生といった「特殊な事情」のある生徒専用のクラスがあった。
高校を中退しており「普通」のコースでやっていく自信のなかった私は、そのクラスで受験生活をスタートさせた。
そして、先程の桜の話は、私と同じ「特殊な事情」を抱えた生徒たちに向けて語られたものだったのだ。


当時の私は「自分たちは山桜なのだ」と思った。
いわゆる「普通」の子たち――3年間高校に通った子たちは、一つの遺伝子を共有するソメイヨシノのように、同じレールを同じような顔で進んでいる。
一方の私たちは、そのレールとは違う道筋を――それも、おそらく一人ひとり異なるルートで――歩んできた。
今の世の中で一番メジャーなのはソメイヨシノだけど、「みんな同じ」じゃつまらない。
一本一本違う成り立ちを持った山桜だって、いいじゃないか。
私は、先生の話をそのように解釈した。
話を聴いたあと、テキストの扉ページに「山桜たれ。」と記したことを今も覚えている。

 

それ以来、長らく私の中でソメイヨシノは「多数派」、もっと言うなら「普通」の象徴になっていた。
「みんな同じ」ソメイヨシノと、「個性豊かな」ソメイヨシノ以外――そういう二項対立が生まれていたのだ。
そこには、10代前半から今に至るまで持て余し続けている「『普通』ではない自分」という感覚が反映されていたのだと思う。
「普通」ではないことへの劣等感と優越感。
「私は山桜なんだ」という思いには、その両方が含まれていた気がする。

 

だが先日、近所のお花見スポットを歩きながら、立ち並ぶソメイヨシノを眺めているうちに、少し違う考えが浮かんできた。
同じ場所に植えられたソメイヨシノでも、既に満開になっているものもあれば、まだ七分咲きのものもある。
芝生の真ん中で均等に枝を伸ばしたものもあれば、川沿いで水面側に大きく枝を張ったものもある。
細く頼りない若木もあれば、えぐれた跡のある老木もある。
同じ遺伝子を持つクローンであっても、一本一本が違った特徴を持っているのだ。
それらを「ソメイヨシノ」とひとくくりに捉え、没個性のシンボルのようにみなすのは、考えが浅いのではないか……そういうことを、ふと思ったのだ。

 

人間も同じなのかもしれない。
「普通」に学校を卒業して「普通」に働いているように見える「多数派」の人たちも、その内実は一人ひとり違ったものなのだろう。ソメイヨシノ的な「普通」の人も、山桜的な「普通ではない」人も、一人ひとり違ったルートの人生を歩んできて、違った個性を身につけてきた、という点では共通しているのではないか。

 

もしかしたら、多くの人はこういうことを当然のものとして認識できているのかもしれない。
彼らが私が長々と書き連ねてきたことを見れば「何を今更」と思うのかもしれない。
それでも、少なくとも私は、今年の春になってようやく「ソメイヨシノの個性」というものに気づいたのだ。
こんなふうに、少しずつ自分の思考や価値観をアップデートしていけたら、人生少しは面白いかもしれない。
そんなことを思いながら、今日も近所の桜の咲き具合を気にしている。

 

おかあさんじゃないあたしが #あたしおかあさんだから と #あたしおかあさんだけど に思うこと

これからの人生において「おかあさん」になる予定は、今のところ一切ない。

基本的に自分のことだけで手一杯だし、ちゃんと育てられる自信が一切ないし、正直「こんな世界に産み落とされる子供が可哀想」という考えが強いので、私は「おかあさん」にならないまま生きて死んでいくはずだ。

 

そういう「母になるつもりがない女性」の立場で、昨日くらいからネットで話題の「あたし おかあさんだから」なる歌について思ったことを書く。

 

 

1 「あたし おかあさんだから」は「応援歌」なのか?

「あたし おかあさんだから」については、もう大勢の人が語っている。詳しくはググっていただければと思うが、とりあえずの概要とその後起こった「#あたしおかあさんだけど」というタグの広がりについては、このまとめでわかるだろう。

togetter.com

 

まず、私が「あたし おかあさんだから」に対して感じたのは、

「『あたし』だいぶ精神的に参ってるな」

ということだった。

「おかあさんになるまえ」にできていたことを諦め、「あなた(子供)の事ばかり」になり、それでも「あたし おかあさんだから」と何度も何度も繰り返して自分を納得させて、必死で「あたし おかあさんになれてよかった/だって あなた(子供)にあえたから」と自分に言い聞かせている、そんな女性の姿が思い浮かんだ。

 

こちらの記事によると、作詞者ののぶみ氏は

これは、元々 ママおつかれさまの応援歌なんだ

 というつもりで、この詞を書かれたそうだ。

しかし、これは「応援歌」なのだろうか。

 

この詞が、たとえば「育児疲れに悩む母親のブログ」のコンテンツとして投稿され、最後に「そう思いながら何とかやってますが、正直しんどいです」とでも書かれていれば、批判よりも共感の声のほうが大きかったように思う。

 現実として、「あたし おかあさんだから」のような状況下にある女性は少なくないだろうし、そのつらさを分かち合ったり、その「告発」をきっかけに議論が起こったりする(実際にもこの歌詞に端を発した議論が活発になっているが)ことはいいことだろう。

 

ところが、のぶみ氏はこうも語っているという。

僕としては、あたしおかあさんだから体験できたことを歌詞にしてます

 私は、体験「できたこと」という表現に違和感を覚えた。

「できた」と言えば、普通ポジティブな意味合いだと思う。

でも、「眠いまま朝5時に起きる」「大好きなおかずあげる」といったことは、「ポジティブな体験」なのだろうか。

実際には「そうだ」という人も「ちがう」という人もいると思う。それは人それぞれだろう。

問題なのは、(のぶみ氏の意図がどうあれ)それらを「ポジティブな体験」としてとらえるべき、という圧力が読み取れることだと思う。

つまり、

「子育ての苦労は喜びなんだ」

「つらいなんて思うべきじゃない」

「だっておかあさんなんだから」

という、いわゆる「呪い」が込められた歌詞だと解釈できるのだ。

そういう視点から語られた「#あたしおかあさんだから」が、応援歌であるはずがない――と私は思う。

 

1.5 「#あたしおかあさんだから」と"Because I am a Girl"

この歌を知った時に思い出したのが、"Because I am a Girl"という言葉だった。

Because I am a Girl|プラン・インターナショナル・ジャパンのボランティア・寄付で途上国の子どもに支援を。

詳しくはこちらのサイト等を見ていただきたいのだが、

「世界の国々には『女の子だから』という理由で学校に行けなかったり、勝手に結婚させられたりする女性が大勢いる」

という事実を訴える際のコピーみたいなものだと思う。

「私は女の子だから」勉強も恋愛も諦めて当然なんだ、と思わなければいけない少女たちと、「あたしおかあさんだから」子供を最優先して当然なんだ、と思わなければいけない母親たちは、どこか似ている。

それはきっと、両者ともが「女は/母親はこうあるべき」という規範に縛られた社会を生きているからだろう。

 

2 #あたしおかあさんだけど は「呪いからの解放」なのか?

さて、「あたし おかあさんだから」に対するカウンターとして、ツイッター等で広まったのが「#あたしおかあさんだけど」というタグである。

そこで語られるのは、「おかあさんだけど冷凍食品使ってます」や「おかあさんだけどぐうたらすることもあります」、あるいは「おかあさんだけど好きな服着てます」といった、いわば等身大の母親像だ。

この動きは、「#あたしおかあさんだから」の中に含まれる「だからこうしなきゃいけないんだ/我慢しなきゃいけないんだ」という「呪い」への対抗策として、多くの母親やそれ以外の人たちに支持されている。

 

しかし、私はこう感じた。

「#あたしおかあさんだけど」の流行は、逆説的に「おかあさん」という呪縛の強固さを証明しているのではないか、と。

 

「けど」は逆接の接続詞だ。

逆接とは「前の事がらから予想される結果とは逆の結果になることを示す」ものだという。

だとすると、「あたしおかあさんだけど」の後に続くのは、「『おかあさん』から予想されるもの」とは逆の意味合いのものである、ということになる。

それを踏まえて「#あたしおかあさんだけど」を再び見てみると、そこに含まれているものが見えてくる。

「おかあさんだけど冷凍食品使ってます」の中には、「『おかあさん』は冷凍食品を使ってはいけない」が隠れている。

「おかあさんだけど好きな服着てます」の裏には、「『おかあさん』は普通なら子育てに適した服を着るものだ」がひそんでいる。

つまり、「#あたしおかあさんだけど」タグを使っている母親たちの中にも、「本来ならこうあるべき(と言われている)『理想のおかあさん』像」というものは、はっきりと確立されていると言えるだろう。

 

はっきり言って、生身の人間が「理想のおかあさん」になることはまず無理だと思う。

にもかかわらず、「世間」は「理想のおかあさん」像を設定し、母親たちにそれを目指せと圧力をかける。 

だから、「#あたしおかあさんだから」な人も「#あたしおかあさんだけど」な人も、無茶な願望を押し付けられているという点では同じと言えるかもしれない。

 

おわりに いつか #あたしあたしだから と言えたら

母親でも何でもない人間が長々と思ったことを書いてきたが、最後に私が思う「理想」を語っておきたい。

それは、「あたしあたしだから」でOKな社会というものだ。

 

「あたしおかあさんだから冷凍食品は使わない」じゃなくて「あたし料理好きだから冷凍食品は使わない」でいいじゃないか。

「あたしおかあさんだけど冷凍食品使ってます」じゃなくて「あたし料理に時間かけたくないから冷凍食品使ってます」でいいじゃないか。

「あたしおかあさんだから動きやすい服を着ます」じゃなくて「あたし子供と駆け回りたいから動きやすい服を着ます」でいいじゃないか。

「あたしおかあさんだけどヒールも履きます」じゃなくて「あたしオシャレ好きだからヒールも履きます」でいいじゃないか。

 

「おかあさん」なんていう実態のない枷なんかに自分をはめこまないで、あたしがあたしだからという理由で子育てのスタイルや生き方の選択をすることができる社会、それでみんな納得する社会、そういう社会を私は生きてみたいのだ。

2017年、私はどんなオタクコンテンツを消費したのか。

あと12時間もしないうちに2017年が暮れてしまう。

ブログを立ち上げてからほとんど更新しないまま新年を迎えてしまうわけだが、ここで私の趣味傾向を示す意味も込めて、2017年のオタ活について振り返ってみようと思う。

 

まずは1月から3月にかけては、「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」を観ていた。オルフェンズに関して書こうと思ったら、かなり長く&湿っぽくなるので詳しくは省くが、端的に感想を言うなら

「『断絶』を描くことがあの作品の目的だったならそれは達成されたけど、私はフィクションにそういうのを求めていなかった」

という感じだろうか。ただ、作中でのシノとヤマギくんの関係性、およびあの関係性が「ガンダム」で描かれたこと自体は、本当に印象的だったしありがたかったと思う。

 

今年のオタ活で一番思い出深いのは、7月に架空アイドル事務所「ツキプロ」在籍ユニット、「SolidS」と「QUELL」の合同ライブことS.Q.P.(スケパ)のために東京は両国国技館まで遠征したことだ。

声優のライブに行ったのは初めてだった。各ユニットのキャラクターを演じている声優さんが生歌を披露するのに合わせてサイリウムを振ったり叫んだりして、すごく楽しかったのだけど、同時に不思議な気持ちになった。

歌っているのは生身の人間なのだが、会場での私はその向こう側に確かに二次元のキャラたちの存在を読み取っていた。それだけでなく、まるで私自身が二次元にまぎれこんだような、本物のSolidSQUELLと同じ次元で彼らに声援を送っているような、演者と聴衆が一体となって一つのフィクションを顕現させたような、そんな感覚だった。

スケパに行く前から実生活で調子を崩していて、「自分にはこんな娯楽を享受する資格はないんじゃないか」と迷っていたのだけど、本当に行ってよかったと思う。

 

そして10月末から現在に至るまでの間燃えて&萌えているのが、男性声優ラップ企画こと「ヒプノシスマイク」である。

私が感じているヒプマイの魅力を端的に語るなら「ガチな楽曲」「個性的なキャラ」「妄想しがいのある世界観」あたりに集約される。特に世界観については、良くも悪くも気になる部分が多く目が離せない。

ヒプマイについては改めて書いておきたい内容があるので、この後別記事を立てておくかもしれない。

 

2017年の総括としては簡略に過ぎるまとめではあるが、だいたいこんな感じだったと思う。このほか、「けもフレではヘラライが好き」とか「ファイ・ブレインリモコンオフ会不参加」とかいくつか思い出はあるのだが、一旦筆を置きたいと思う。

 

来年はもう少し更新頻度を上げられたらと思っているので、なにとぞよろしくお願いいたします。

雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』1巻のあとがきで泣いた話

さっきショックなことがあった。
わけあって出先の漫画喫茶でブログのネタを思いついた。
しかし、ブログのパスワード類を覚えていない。
そこでふせったーの追記機能で下書きをして、一度ツイッターに投稿して帰宅後にコピペしようと思いついた。
そして下書きをした。2500字くらい書いた。投稿ボタンを押した。
エラーが出て投稿できなかった。下書きは全て消えた。バックアップなどどこにもなかった。

そんなわけで、今から書くものは消えた下書きの残りカス、完全に死んだ魚の目をしたネタだ。
それでも、何を書いたか、どんな気持ちで書いたかを、思い出せる限り思い出して書いていく。

 


雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』1巻を読んだ。
とある高校の倫理教諭・高柳を主人公とする漫画である。詳しいことはamazon等で調べてほしい。

 

 
この作品を知ったのは、ツイッターのRTで回ってきた1話から3話までの試し読みがきっかけだった。
その時は、高柳先生が魅力的だなぁ、というくらいの印象だったのだが、漫画喫茶に偶然1巻が置いてあったので読んでみた。
そして泣いた。
泣きながら下書きを書いて全部消えて涙が引っ込んで、漫画喫茶を出て本屋を3軒回って見つけて買って帰ってきた。
今から書くのは、漫画喫茶で控えめな嗚咽を上げながら2500文字をタイプし続けた理由についてだ。

 

『ここ倫』(勝手に略した)には、いわゆる「泣けるポイント」が複数ある。
私は第4話でボロボロに泣いたのだが、今回はその話ではない(また書けたら書く)。
私が「一番泣いた」のは、巻末の「あとがき」漫画(pp221-223)だった。
以下、あとがきのネタバレを含むので注意してください。

 

 

 

 


雨瀬氏にはこの作品を描いているときに「ずっと頭から離れない事」があるという。
それは、彼女の「大好きだったおばさんが突然自殺した」という出来事。

うつ病で薬をずっと飲んでたおばさん
働けずずっと家でばあちゃんと2人きりだった
でもいつも明るくて清潔でよく笑って
100人いたら100人共好きになるような可愛い人で

そんなおばさんが、自ら命を絶った。
そして、遺品として遺されたのが
「フセンだらけの倫理の教科書」「哲学書」「『神様との対話日記』なる日記」
だった。


雨瀬氏は、教科書のフセンは「必死に自分を助けてくれる言葉を探」すための、「"生きるため"の勉強の跡」だったと思っている。
そして、日記は「その日あったよかったこと、今悩んでいること、『自分に出来る事』を必死に探してること」を「自分の心の中に作った"神様"」に打ち明けるものだったと言う。

みんなくちぐちに彼女の自殺を「うつ病だったからね」の一言で済ますけど
私はこんなに必死に戦ってた人をそんな一言で終わらせたくないと思う

そう思う雨瀬氏は、

今このマンガを色々な想いを込めて描けているのは
間違いなくおばさんのおかげです
ありがとう こんなとこでネタにしてごめんね
本当に助けられている事言いたかった自己満です

とおばさんに語りかけている。

この3ページのあとがきで、私は泣いた。

 

最初に思ったのは、「私たちが戦っている存在はこんなにも大きいのだ」ということ。
おばさんは生きようと思っていた。
倫理の教科書を読み、"神様"と対話することで、自分で自分を助けようとしていた。
だけど、人間の心はいつだって振り子のように揺れている。
「助かりたい」、「自分は助かってもいい」という気持ちが強くなったり弱くなったりする。
そして、うつという病は、振り子が自分たちの方へ揺れてくるのを虎視眈々と待っているのだ。
まるで東京事変「絶体絶命」に歌われている「かなしみ」のように。

 

次に思ったのは、「私は負けたくない」ということ。
上で「私たち」と書いたが、私もまた「かなしみ」に狙われている。
自分では病識が薄いのだけど、通院も服薬もしている。自分の食い扶持を稼げずパラサイトシングルをやってもいる。
私の「振り子」は振れ幅が尋常ではない。端と端では同じ人間とは思えないくらい思考も感情も違う。
そのせいで、何度も何度も何度もいろんな物事をぶち壊しにしてきた。
正直、もう嫌になってばかりだ。
それでも、このあとがきを読んだ時は、嫌になっても投げ出さずに生に食らいつきたいと思った。
おばさんの仇討ちみたいな気持ちで、そんなことを思った。

 

そして、そういうことを書いているうちに思ったのが、「死んだら負けなんかじゃない」ということ。
さっきの言葉と矛盾している気もするが、ここで言う「負け」とは「負け犬」とか「無価値」とか、そういうニュアンスだ。
おばさんは生きるために戦っていた。生きるために戦っていて、そのさなかに亡くなった。
もし自殺が「負け」なのだとしたら、彼女の戦いは無価値なのだろうか?
そんなこと、絶対ない。
だって私はおばさんのことを知って泣いた。おばさんが死んでしまったことが悲しくて泣いたわけじゃない。おばさんが生きようとしていたことに励まされて泣いたのだ。
おばさんは死んでしまった。でも、おばさんの生きるための戦いが、生への意志が、嘘だったはずがない。
おばさんは生きようとしていた。読んで、書いて、自分を助けながら生きていた。
その事実が、自殺という結果ひとつで「なかったこと」になるなんて、ふざけている。
そんなことを、強く思った。

 

もうひとつ、私が救われた気になったことがある。
おばさんの生き様が雨瀬氏や私の心に響いた、という事実自体が、私にとっての救いもしくは希望なのだ。
おばさんは別に「他のうつ病当事者たちに希望を与えるため」に生きていたわけじゃないと思う。ただ、自分が生きるために生きて、自分を助けるために教科書にフセンを貼ったり対話日記をつけたりしていたんだろう。他の誰でもない自分のための営為だ。
でも、彼女のそんな「ただ生きた」在り方が、雨瀬氏の漫画を助け、私を励ましてくれている。
つまり、人はただ生きているだけで他者の力になりうるのだ。
多くの人には当たり前のことかもしれない。でも、私は今日初めて実感した。
私は他者の力になりたい。誰かの役に立ちたい。役に立って認められたい。認められて「ここにいていいんだ」と思いたい。
だけど、私にできることなんてあんまりない。だから他者の力になんてそうそうなれないと思っていた。
でも、もしも「人はただ生きているだけで他者の力になりうる」のなら、私もただ生きているだけで、不格好にもがいて馬鹿みたいなことしでかして何度もぶち壊しにして死のうと思ってでも結局性懲りもなく立ち上がっての繰り返しをしているだけで、誰かの役に立てるのかもしれない。
そうだとしたら、すごく嬉しい。

 


下書きからはだいぶずれてしまった。
というか、下書きで何を書いていたかほとんど思い出せなかった。
それこそ昨夜の夢を思い出すレベルの難易度だった。
恣意的な解釈に基づいて色々と勝手なことを書いてしまったが、一つ言えるのは、『ここは今から倫理です。』は私が書いたようなこと関係なしに読んでほしい良漫画だということである。
まだ1巻しか出ていないので読み始めるなら今だと思う。ぜひぜひチェックしてほしい。

 

最後に。
雨瀬シオリ先生、あとがきのことばっかり書いた上に拡大解釈ばっかりしてすみません。でも、このあとがきをつけてくださって本当にありがとうございました。
雨瀬先生のおばさま、勝手に共感してすみません。でも、生きてくださって、生きるために戦ってくださって本当にありがとうございました。

 

520号室の思い出

ブログを開設してから一週間くらい経った気がするのに、未だに記事がひとつもない。

 

書きたいネタはいくつかあるのだが、うまくまとめられない。

世の中の「読ませる」長文を書ける人はすごいんだなぁと、改めて思う。

 

仕方ないので、「夜明けの520号室」というブログタイトルの由来でも書いておく。

 

私は地方民なのだが、大学時代は東京で過ごしていた。

当時から生活能力が皆無だった私は、親のすすめもあり、民間の女子学生寮に住むことになった。

風呂・トイレ・キッチン共同、コインランドリー・コンビニ至近、別料金だが食事あり。

家事が一切できなくても生活できる環境がそこにはあった。

そこで私に割り当てられたのが、520号室だった。

 

大学生活は、いろいろあったもののトータル収支で言うと割と楽しかった。

寮にはさまざまな学校に通う女の子たちが住んでいたが、私の同期は特に横のつながりが強く、みんなで遊びに行ったり飲み会を開いたりしていた。

何の因果か私もその輪の中に交じれており、大勢でボウリング場ではしゃいでいるときなど、まるでリア充になったような気分だった。

いや、あの短い期間に限れば、私はリア充だった。

 

それはそれとして、私はオタクだった。

家事能力だけでなく規則正しい生活を送る能力も皆無だった私は、夜通しニコニコ動画を観たり、レポートそっちのけでpixivを漁ったりと、インドア生活を満喫していた。

どちらかと言えば、あちこちに出かけるよりは部屋に引きこもって愛機レッツノート(入学時に大学生協に勧められるまま購入)と向き合っていることのほうが多かった。

当時から「もったいないことをしている」と思っていたし、今もそう思う。

 

それでも、520号室にこもって過ごした「もったいない」時間は、確かに私の大学時代の思い出なのだ。

無意味な徹夜の果て、気がついたら東の空が白んでカーテンの隙間から光が差し込んできていたあの瞬間。

青春を浪費してしまったことへの後悔と、浪費できるほどの青春を持っていることへの満足感に満ちた、夜明けの520号室。

 

私はもう学生ではないし、当時持っていた青春は浪費し尽くしてしまった。

だけどせめてこのブログの中では、あの頃と変わらない、変われない私のままでいたい。

そんなわけで、ここは「夜明けの520号室」なのである。

 

 

ブログ始めました(3回目)

初めまして、雨子といいます。

ふと思い立ってブログを始めることにしました。

よろしくお願いします。

 

……と軽く挨拶をしたところで、開設理由とかどんどん書いていくことにする。

 

実は、ブログというものに手を出すのはこれが3回目になる。

初めてのブログは、大学を卒業する少し前から、働き始めてしばらく経った頃まで書いていた。

2度めのブログは、2,3年くらい前に人生設計の見直しをしたくて始めた。

そしてどちらも、10回更新するかしないかのうちにやめてしまった。

 

今回も、正直いつまで続くかはわからない。

それでも、今までとは違うところがあるから案外続くかもしれない、とも思っている。

 

今までとの違いとは、私にとってのブログの位置づけだ。

これまでは、生身の(リアルの)私としてブログを書いていた。もちろんHNは使っていたけど、あくまでもリアルの生活をベースにして書こうとしていたのだ。

一方今回は、完全にネット上の、もっと言えばTwitter上に存在する「雨子」というアカウントとして書くつもりでいる。つまり、Twitterでつぶやくには長くなりすぎることを書いたり、Twitterでの断片的なつぶやきをひとまとめの文章にしたりするために、このブログを使いたいと考えている。だからHNもTwitterと同じものにしたし、記事のリンクをTwitterに貼ったりもする予定だ。

 

そんなわけで、当ブログは弊Twitterアカウントと同じ「フリーダム&カオス」というコンセプト(?)のもと始動することとなった。

これからどうなるか全くわからないが、よかったらおつきあい願いたい。